稲荷山唱歌 |
学校だより8月号にて話題にした「稲荷山唱歌」の報告 |
【楽譜】稲荷山唱歌(PDFファイル) 【こちらから曲が聞けます】稲荷山唱歌 本校二階の「資料室」には稲荷山小学校・桑原小学校保存資料があります。地元の方に「稲荷山唱歌」の資料提供を求められましたが、音源となるレコードもテープも、楽譜も見出すことができませんでした。 お応えできない責任を感じて、夏季休業中に資料探索のために長野県立図書館で国立国会図書館も含めて「稲荷山唱歌」の検索をしていただきました。 「稲荷山小唄」は国会図書館にあるようでしたが、「唱歌」の音源・資料はないとのことでした。手掛かりとして、本校にも残されていない「稲荷山小学校創立七十周年記念誌」と「稲荷山四百年の歩み」(以下歩み)を紹介していただきました。 歩みには、「稲荷山八景唱歌」の作者は「稲荷山小学校校長 下崎熊平 作」と記載されています。 下崎熊平は、歩み(昭和49年4月20日発行)P269の歴代小学校長一覧に拠れば、在職期間「明治43年〜大正2年」、稲荷山小学校「第13代」校長です。 本校の「統合 記念誌 更埴市立治田小学校」(昭和52年11月25日発行)のP14に掲載の稲荷山小学校沿革の概要年表中、明治42年11月25日の項に「子守学校付設 稲荷山唱歌制定」の記載があり、歩みP249に「明治43年、稲荷山出身の下崎熊平訓導は引き続き稲荷山の校長となった。」とあることから、訓導として在職期間中に創作して、翌年校長として「唱歌」制定したものと推測をいたしました。 歩みP270には「下崎熊平校長は稲荷山唱歌を作った。今日に於いても歌われている。」の記述があり、同書が編纂された昭和49年(1974年)当時までも歌い継がれていたものと思われます。 肝心の歌がわからないまま、夏休みが明けましたので、二学期始業式にこの音源を探索中である旨の話を児童にし「唱歌を歌えるお爺ちゃんかお婆ちゃんがいたら教えてほしい」とお願いをしました。(学校だよりNo5 8月号) そうしましたら、早速に担任の先生への連絡ノートを通じて連絡をいただいたり、児童が校長室に直接来室し、おじいちゃんが歌えるので学校に来てくださるという話になったり、探究学習が拡散し、共同的な学びが展開しています。 そもそものこの唱歌探究の依頼者も8月27日に来校し、地元の喫茶にて歌える人を集めて歌っていただき、店のマスターに採譜してもらい前奏、後奏付きのアレンジを施した楽譜を完成させたとのことでした。 期せずして、同日依頼者来校の30分前に、組体操の補助指導で来校中のボランティアさんが、歌えそうな友人に電話をかけて、電話口で唄っていただき「唱歌」を初めて聞いたところでした。 主メロとテンポが掴めたので、コンピュータの作曲ソフトを使って、暫定的な伴奏譜と自動演奏音源を作成しました。別の日には児童のお爺ちゃんが来校し、校長室にて歌ってくださいました。 私がデモで作成した音源を聞いていただき、テンポの補正も出来ました。 原曲が徐々に復活してきましたので、ここにカラオケ音源を公開いたします。 この曲のことを話題にすると、地域の方の中にもいくつか認識の違いがあることが分かってきました。 校長先生「それは、稲荷山小学校の校歌ですよ」と、きっぱりとおっしゃる方もいますし、「いや、校歌は別にあった」とおっしゃる方もおります。「卒業式や入学式にも歌っていた」という方もいます。 いったいどういうことか・・・ どうやら、稲荷山小学校校歌が制定されるまで、「校歌」だった時期があったというのが事実のようです。 |