|
|
|
|
No.121 |
「卯の花」を病身の自分と重ねた正岡子規
善光寺で発見、感激して歌を詠む 【更科紀行街道の今 その十八】 |
No.122 |
設立なるか 「月の都文学館」
千曲市にもある構想 【更科紀行街道の今 その十九】 |
No.123 |
「月の都」で咲き始めたオミナエシ
姨捨、長雲寺、大正橋たもと 【更科紀行街道の今 その20】 |
No.124 |
「田毎の月」題材の新たな浮世絵
中秋・名月と稲作文化の融合美 【更科紀行街道の今 その21】 |
No.125 |
「月の都」の貴重な暗闇
飲月、マイ田毎、木漏れ月 【更科紀行街道の今 その22】 |
No.126 |
姨捨駅に来れば恋がかなう?
「スイッチバックの恋」のその後 【更科紀行街道の今 その23】 |
No.127 |
芭蕉が絶賛した随行者・越人の恋句
うらやまし思ひ切る時猫の恋 【更科紀行街道の今 その24】 |
No.128 |
たたら製鉄遺跡が更級に眠る?
都人が憧れた古代「更級」の原型 |
No.129 |
さらしなの里にある「築地御所」
明治の村誌に記された大規模な石垣 |
|
No.130 |
芭蕉が眠る義仲寺と姨捨の一大観月会
「面影塚」には義仲寺の土が埋納 【更科紀行街道の今 その25】 |
|
|
|
|
No.131 |
本当に子規は長楽寺に寄らなかったか?
「路々に立つ芭蕉塚」に感興 【更科紀行街道の今 その26】 |
No.132 |
それぞれの感性で、それぞれの「月の都」
すずき大和先生のまんがWS開催 【更科紀行街道の今 その27】 |
No.133 |
横浜の寺に眠る「蚕界偉人」大谷幸蔵さん
ご子孫が受け継いだ貴重な写真 |
No.134 |
鏡台山から見た冠着山(姨捨山)
|
No.135 |
秀吉が更級とともにライバル視した「雄島」
「奥の細道」で芭蕉も上陸した? |
No.136 |
松尾芭蕉と千曲市の縁の深さが絵本に
あこがれだったさらしな・姨捨の月
|
No.137 |
「
(
|
No.138 |
「
(
|
|
No.139 |
「
(
|
|
No.140 |
「
(
|