上山田小学校の宝

ふで  づか

筆塚


筆塚ができるまで

      「校長先生、学校に筆塚をつくってください。おねがいします」

昭和57年6月。当時のあるクラスの児童たちから、筆塚を作ってほしいという声が上がりました。
    その願いは、児童会、学校長へと広がり父母教師会(PTA)、そして当時の上山田町を動かしました。

碑の石は以前からあった黒ミカゲの大門石を利用し、当校にゆかりのある田中信雄先生に
「筆」の大文字を刻んでいただき筆塚としました。

 筆塚の基礎や周りを飾る石を当時の全校児童、職員、父母教師会役員など700余名で
千曲川へ石を拾いに行ったそうです。
基礎のために埋める石には、児童が願いをこめて書き埋めたそうです。

千曲川から拾ってきた石 願いをこめて筆塚の基礎に


  そして、昭和57年11月27日
 来賓父母100余名、児童職員全員参列し、筆塚建立除幕式が行われました。

筆塚建立記念誌より参照

児童が石拾いから除幕式までを描いた版画



筆塚集会

「筆塚の日」に設定された、毎年11月27日

に児童会主催で筆塚集会を開きます。

集会では文房具に込める気持ちを作文で

発表したり、筆塚に関する発表を行います。

その後、全校児童と先生方が学級ごと順番に

筆塚へ行き、お世話になった鉛筆をおさめる

のです。





子どもたちの 願いにはじまり 教師父母町の ひとびとらこれを たすけ遂に成る 昭和五十七年十一月