私たちの治田小学校は、豊かな自然に囲まれた、歴史ある文化のまちにあります。
姨捨(おばすて)山で有名な冠着(かむりき)山。千曲川の流れ。田毎の月で知られる棚田。歴史豊かな蔵つくりのある町。
そんな恵まれた環境にある治田小学校について概要を紹介します。

学校教育目標
「ふるさと治田」に学ぶ心ゆたかな子ども
1 進んで学ぶ
2 支え合う
3 最後までやりぬく

 治田小学校の教育(グランド・デザイン)

平成29年度 学校運営の重点
スローガン:地域を愛し,心ゆたかに,夢にむかって自らチャレンジする子ども

@日々の授業改善
A人権教育の充実
B気持ちや姿をそろえる
学校沿革の大要
稲荷山小学校 桑原小学校
明治 6 年 稲荷山小学校 極楽寺に開設。
昭和47年 稲荷山小学校100年の歴史を閉じる。
明治 6 年 桑原小学校 浄光庵に開設(大田原に支校)。
昭和47年 桑原小学校100年の歴史を閉じる。
昭和47年 稲荷山小学校と桑原小学校が統合され、更埴市立治田小学校が発足。
治田小学校竣工式を行う。
昭和49年 校舎・体育館の完成およびグランドの造成工事完了。
昭和50年 プールの完成
昭和52年 統合記念事業(校歌・校章・校旗の制定・中庭の造園・治田山の造成等)
昭和56年 開校10周年記念事業(校歌歌碑・天幕等)
平成 3 年 開校20周年記念事業(記念音楽会・作品展・記念碑等)
平成13年 開校30周年記念事業(記念講演会「有森裕子さん」・記念誌・緞帳等・タイムカプセル)
平成15年 市町村合併による千曲市誕生により、校名が千曲市立治田小学校となる。
平成23年 開校40周年記念事業
治田小学校 「治田」の由来
昭和47年4月から稲荷山小学校と桑原小学校が一緒になるにあたり、学校の名前を一般の人から募集しました。その結果1位「西小学校」 2位「治田小学校」 3位「治田ケ丘小学校」 4位「川西小学校」 5位「稲桑小学校」の名前が出ました。そこで、「川西小学校」と「治田小学校」の二つについてもう一度アンケートを取り、多い方を校名とすることになりました。その結果、「治田小学校」という名前を希望する人が多く、採用され議会に提出され、正式に決定しました。
では、治田という名前は?それは小さな開墾地という意味で、千年以上もの昔から、稲荷山と桑原のこの一体を治田郷、治田の郷と呼んでいました。歴史的にも由緒ある名前で、田んぼや畑をたくさん作っていたようです。ですから、治田小学校は、歴史的にも由緒ある立派な名前であります。
【治田小学校開校30周年記念誌より】
校歌と校章
<校歌ができるまで> JASRAC許諾番号:E1609123276

稲荷山小学校と桑原小学校が統合し、治田小学校となってから、今まで歌い継がれていた両校の校歌が歌われなくなりました。そこで、儀式や集会では「ぼくらはみんな生きている 生きているから・・・」と『手のひらを太陽に』がよく歌われていました。
統合1年目も終わりに近い3学期に、本校職員であった多羅沢一郎先生作詞、根岸きよ子先生作曲によって、『治田小学校子どもの歌』が誕生し、今日まで校歌に準じる歌として歌われるようになりました。(この歌は、現在「児童会の歌」として、歌い継がれています。)統合5周年を迎えた年、記念事業の一つとして校歌・校章が制定させることになりました。校歌制定のための専門委員会で研究・協議を重ね、「童謡に心暖まる作品が多い」まど・みちお氏に作詞を、「(当時)新人作曲家で形にはまらない作品が多い」飯沼信義氏に作曲を依頼することになり、快諾をいただきました。
こうして昭和52年7月、「学校の歴史と共に永く子どもたちが、生き生きと歌い続けていく命のある曲や詩を」との願いが、現在の校歌という形で結実しました。
<校章ができるまで>
昭和51年8月、校章制定のための専門委員会より、小学校4年生以上と地域の皆さんを対象に校章の図案募集要項を全戸に配布しました。
12月、応募作品より校章の候補が審議され、優秀作品が決定されました。この作品をもとに、上八日団地の工業デザイナー堀内氏にデザイン化を依頼し、現在の校章が誕生しました。
学校の位置<がっこうのいち>
長野県千曲市大字稲荷山1360
東経 138度05分49秒
北緯  36度31分30秒
海抜 393M
もっと詳しい地図を見る